今日の長門有希SS

 人間、平穏が一番である。
 こういう言葉は高校生としては大人しすぎるように聞こえるかも知れないが、それは俺たちSOS団にとって何よりも貴重なものだ。今はのんびりと、朝比奈さんのお茶を飲みながら古泉と将棋を指しているが、これがいつ破られるかわかったものじゃない。
「どうかなさいましたか?」
 真正面から声がかかる。
「ちょっと遅いと思ってただけだ」
 俺の視線はハルヒの指定席に向いている。
 今はそこに誰も座っていない。パソコンの前は空席だ。
「あいつは掃除当番だったから俺より後になるのは当然だが、とっくに終わっててもいい時間だ」
「それは……何もないといいですね」
「ああ」
 ハルヒは目の前で何かやらかしている時が一番厄介だが、目の前にいない時も同じくらい厄介だ。もちろんあいつだって年がら年中騒動を引き起こしては――いるんだが、毎日というわけではない。
 どちらかと言えば、ただパソコンをいじくりまわして時間を潰しているだけの日が多く、俺たちは無駄に放課後の時間を費やすことになる。古泉の将棋の腕前はなかなか上達しないし、古泉とばかり将棋を指している俺も似たようなもんだ。お茶を淹れ、雑用をする朝比奈さんの仕事はそもそも俺たちが時間を潰していなければ発生しない類のものだから、どちらかと言えば「無駄ではない」と断じてもかまわないのは、読書をして新しい知識を吸収している長門だけだ。
 などと考え事をしていると、何の前触れもなく部室のドアが開いた。いつかドアを破壊するのではないかという勢いである。
「お待たせ!」
 ハルヒは満面の笑みを浮かべている。嫌な予感がした。
「用意してたら遅くなっちゃったわ」
 一体なんの用意だ。
 などという言葉を発する必要はなかった。ハルヒの手には、何やら中身が詰まっているらしい紙袋が携えられている。
 まずそれをドンと長机の上に置き、倒す。紙袋の中に詰められていた何かは、物理法則に従って机に散らばり、将棋盤を押し流した。まあ、将棋盤自体はそれほど軽い物ではないので、流されると言ってもわずかなものだが、それでも盤上のコマの配置を狂わせることは可能だったようだ。
「おや、あなたの飛車が歩の前に」
「取るなよ」
 元に戻そうにも、俺も古泉も多少は考えているが確固たる戦略を持って打っているわけでもないし、中盤から終盤にかけては思いつくまま手なりで進めているので、どこにどのコマがあったかなんて覚えちゃいない。
 というわけで、これは無効試合として放置したほうがいい。
「で、これはなんだ」
 机の上にあるのは色とりどりの小さなケース。大きさは共通で、どれも片手で握れるようなサイズだが、実際に持たなくても手からははみ出る長さだ。皮やプラスチックや金属、素材はそれぞれだが、ペンケースのように見えなくもない。
「なんか書くのか」
「は? あんた何言ってんの?」
 遠足の説明中に「バナナはおやつに入りますか」と質問された教師のような顔をして、ハルヒは手元にあったケースを持ち上げて開ける。
 中には縁なしの眼鏡があった。
「どうしたんだ」
「思ったのよ、SOS団に何が足りないか」
 つるの部分を閉じたまま、ハルヒはそれを自分の顔にそえる。
眼鏡っ子よ!」
 その瞬間、俺や朝比奈さんや古泉の視線が一点に集中する。
「……」
 言うまでもなくそれは、今もなお読書を続けている長門に他ならない。ハルヒがやってきても、我関せずと無関心だった長門だが、さすがに視線が集まると――まあ、読書を中断することはなかったのだが。
「眼鏡なら長門がそうだっただろう」
「今は違うじゃない。それに、あたしの求める新しい眼鏡っ子像と有希はちょっと違うのよね」
「……」
 本から視線を上げた長門は、ようやく気が付いたようにハルヒに顔を向け、わずかながら頭を横に傾ける。
「ほら、眼鏡をしてるって当然目が悪いじゃない? 読書好きとか、ガリ勉とか、まあ有希はそのイメージにうまく当てはまりすぎてる気がするのよ。あ、もちろん王道って重要だけど、そればかりじゃ面白くないじゃない。SOS団が誇る眼鏡っ子には、新機軸が必要なのよ!」
 わけのわからない熱弁を始めやがった。言っちゃあ悪いが、ハルヒの口にしている内容が俺にはちっとも理解できない。
「で、長門以外で眼鏡の似合う奴を新たな眼鏡キャラにしようと考えたわけか」
「そういうこと」
 どういうことだ。
「とにかく、試すわよ」
 ハルヒの一方的な宣言により、またよくわからないことが始まるのだった。