今日の長門有希SS

 人間はあまり同じ姿勢を保っていられない。授業中、退屈な授業を聞き続けながらもぞもぞと体を動かしてしまうのはよくあることで、教室の後ろの方に座っているとそれがよく見える。授業は一時間弱で区切られているが、大学に行けば二時間分で一区切りになっているそうで、一度授業が始まれば生徒は一時間半ほど座りっぱなしになるらしい。
 しかしそれでもせいぜい一時間や二時間の話だ。映画館に行けば、長い作品ではこれ以上の時間、窮屈な座席に押し込められる。無意識に体を動かしているのかも知れないが、熱中する映画なら身じろぎすらしていないかも知れない。
 人間はもっと長い時間、一カ所に留まって過ごす。しかもそれは頻度が高いというか、ほぼ毎日のことだ。時間には個人差はあるが六時間から八時間程度……つまり、眠っている時の話だ。
 寝返りという言葉がある。自分の所属する集団を裏切り、対立する組織の利益のために動くこともまた寝返りと呼ばれるが、今回はそれではなく言葉通りの意味だ。寝床で睡眠を貪りながら、人はごろごろと体を動かす。寝返りする本人は意識がないので寝返りをしていたという自覚はないだろうが、いつの間にか布団が外れていたとか、毛布やタオルケットが足下でくしゃくしゃに固まっていたという経験は誰にでもあるはずだ。
 寝返りをする理由は、同じ体勢で寝ていると圧迫された部分の血行が悪くなるとか、まあそういった理由らしい。詳しい理由を知らないし、別に知りたいわけじゃない。
 ともかく、それがあるということを俺はよく知っている。自覚しているわけではなく、他人がそう動くのを見ているからだ。
 長門有希
 今さら説明するまでもない、今の俺にとって最も大切な存在だ。世界にとってはハルヒの方が尊重されるべきなのだろうし、実際、あいつに何かあれば俺たちも困る。迷惑は被っちゃいるが、まあ、それなりにはいないと困る存在ではある。世界のことがなかったとしてもな。
 それはさておき、長門だ。俺にとって長門が大切な存在であるのと同じく、長門にとっても俺は大切な存在だ。その結果、俺たちは恋人同士ということになっている。
 こういう関係になってからの時間は、もはや具体的な月日、はたまた年月を口にすることができないほど長い。ことによると、生まれてから今までずっと一緒にいたのではないか、なんて思ってしまうこともあるし、なんとなくその認識は間違っていないようにも思えてくるから不思議なものだ。長門に出会ったのは、高校一年の春だというのにな。
 ともかく、恋人同士であるが故に、俺たちは共に過ごす時間を多く持っている。というか、自らの意思で作り出していると言っていい。長門が独り暮らしなのをいいことに、その部屋に入り浸り、果てはそこで寝起きするようになった。いや、もちろん自宅に帰らないわけではないのだが、男子高校生の過ごし方としては少々珍しい。自他共に認める一般人の俺ではあるが、そこの一点ではあまり一般的ではないと言える。もっとも、恋人の長門が宇宙人という一般とはほど遠い存在なので、その時点であまり普通とは言えない。
 で、まあ、今も長門の部屋で眠っているわけだ。意識があるので「眠っていた」と言うのが正しいのだが、それを厳密に区別する必要はない。
 俺は覚醒していて、同じ布団に入る長門は目を閉じてすうすうと寝息を立てている。狸寝入りではないことは、俺は経験で知っている。
 今日は長門が眠る前に俺の方が先に寝入ったはずだった。そして、真っ暗な深夜に目を覚ましてしまった。
 別に尿意があるわけでもない。起きたついでに行っておこうかなとは思うものの、それが原因ではないことはわかっている。寝床に入る前にちゃんと済ませていたし。
 では何が原因かと言うと、寝返りだった。自分自身ではなく、長門の。
「……」
 俺は無言で、自分の顔にかかっていた長門の手を持ち上げて移動させ、掛け布団の上にそっと下ろす。どれほどの勢いだったのかは知らないが、少なくとも俺を目覚めさせる程度に俺の顔に触れたらしい。
 横に顔を向けると、長門が安らかな顔をして目を閉じている。そっと頬に触れるが、特に反応はない。
「ん……」
 唇に指をそえるとむにゃむにゃと動かす。別に起こすつもりはないので、そっと手を放して起きあがる。
「さて」
 長門を起こさないよう慎重に布団から抜け出す。安らかに眠る長門を置いたまま、トイレに向かうことにした。


「……」
 寝室に戻ると、長門が上半身を起こしぼうっとした目を俺に向けていた。
「起こしたか?」
「あなたが直接的な理由ではない」
 どことなくふわふわとした口調で長門は答える。
「でも、あなたがいなくなったことで布団の中が冷えた。そのせい」
「悪かったな」
「いい」
 ゆっくりと首を左右に振って、長門は両手を俺に向けた。
「もう一度寝るためには、あなたの体温が必要」
「わかった」
 そういって、俺は布団に潜り込み、長門の抱き枕となるのだった。