今日の長門有希SS

「何か食べたい物はある?」
長門の作る物なら――」
 夕方の帰り道。問いに対する答えをそこで区切った。
 理由は単純。何かを察知したからではなく、ただ単に電車が通りかかってうるさかったからだ。
「……」
 長門はじっとこちらを見上げている。恐らく、あのまま話していても電車の音に邪魔されることなく耳に入っていただろう。俺の声が長門に聞こえないはずはない。
 別に試したことがあるわけじゃないが、仮に俺のクラスで全員が大騒ぎしている時、俺が小さな声で名前を呼んだら、長門はきっと隣の教室からでもそれを聞き取ることができるに違いない。
 とまあ、そういったわけで、長門は俺がそこで言葉を句切ったのを不思議に思っているのだろう。なぜわざわざ、と。
 本来、深い意味などなく、ただ「なんでもいい」と答えるつもりだったのだが、長門の顔を見ていると言葉を続けなくてよかったのではないかと思えてくる。
 長門の作る料理はそれなりに美味い。高校に入るまでは朝倉任せだったので、それに比べるとどうしても経験で劣ってしまうが、レシピさえあればその通りに再現することができる。
 そしてそれはあまりにも再現だった。同じ料理を作れば、全く同じ分量で全く同じ味で作ることができる。二倍の量が必要ならば、調味料と材料を完全な二倍にする。つまり、それは料理ではなくやはりレシピの再現だった。
 自分自身、それを快くは思っていなかったようだが、ある時朝倉が「定規で測ってチェーンソーで大雑把に切る感じでいいよ」というよく俺にはわからない説明をしたあたりで、長門の料理にわずかながらファジー感が現れるようになった。
 それはさておき、何を答えるかというお話だ。
「寒いから体が温まる物がいいかな。温かい物とか、辛い物とか」
「辛い物……」
 長門はそこで、何かを探るような目をする。
「柿の種とか?」
「食事でか」
「……」
 沈黙したまま正面に顔を向ける。
「まあ、鍋みたいなのがいいかもな。それで辛い物となるとやっぱりキムチとか」
「把握した」
 こくりと首を縦に動かす。
「甘い物なら何がいい?」
「甘い物?」
 辛い系統のおかずだけでなく、何か甘いおかずも作ろうということだろうか。
「……かぼちゃ?」
 咄嗟に出てきたのがそれだった。
 かぼちゃと言えば冬至だが、別に今日が冬至というわけではない。一般的に冬至にかぼちゃを食えと言われるが、寒い時期に食べるべき食材なのだろう。
「果物は?」
「苺とかどうだ? お勧めされてるみたいだし」
 スーパーに到着すると、入り口のあたりに積まれた苺が目に入った。
「それでいい。苺は定番」
「そうか」


 長門は口数が少ない。今回のように、意図して何かを言わないようにしていると、必要な情報をカットしてしまうことがある。本来なら言っておいた方がいいような言葉が、口から出てこなくなるわけだ。
 というわけで、俺はスーパーに向かう道すがら行われた会話を、食卓の上を見て後悔することになった。
「他はともかく、キムチはまた別の機会にしよう」
 あの時、なぜ長門が「柿の種」などというよくわからない返答をしたか、俺はもっと深く考えておくべきだったかも知れない。
 コタツの中央にコンロと土鍋があって、そこから湯気が出ている。横に置かれた大皿には、先ほど買った苺やカボチャやマシュマロや小さく切られたパン。
 ちなみにこれは鍋料理ではない。土鍋の中にある液体は単なる水で、しゃぶしゃぶをしようという心づもりでないのを俺はすでに理解している。
「……」
 長門は無言のまま、土鍋の中にボウルを設置する。よく安定させられるものだなとちょっと感心してしまう。
 ちなみにそのボウルの中には、刻まれたチョコレートが入っている。まあこれは、いわゆる湯煎という行為で、直火で溶かすとよろしくないチョコレートをやんわりと溶かすために行われる方法だ。
 なお、かつて部室のパソコンで直火でチョコレートを溶かしている海外の料理番組を見たハルヒがゲラゲラと笑っていたことがある。ま、それはどうだっていい。
「今日はチョコレートフォンデュ
「わかってる」
 そういや、そんな時期だったな。すっかり忘れていた。
「辛い物がないから体が温まらないかも知れない」
「いいさ、長門が驚かせようとこれを作ってくれただけで十分だ」
「そう」
 長門は少しだけ嬉しそうに、俺を見上げる。
「召し上がれ」
「ああ」


 意外とカボチャも合うもんだな、と俺は思った。