今日の長門有希SS

 くるくる、くるくる。
 授業中にも関わらず、後ろの席のハルヒは延々とペン回しのようなことをやっている。音は出していないが立派な授業妨害だとは思うのだが、教科担任の教師は見て見ぬ振り。ハルヒに手を出すとまずいということは、生徒だけでなく既に教師にまで知れ渡っている。
 くるくる、くるくる。
 正面を向いて授業を聞いてさえいれば視界には入らないのだが、見なくてもそういう行為を行っていることがわかっているだけで妙に気が散ってしまう。なんとなく、回していることで空気が動き、それが俺に伝わっているんじゃないかという気さえしてくる。おかげで授業に集中できず、更にハルヒを意識してしまうという悪循環。
 くるくる、くるくる。
 少し首を横に曲げると、やっぱりハルヒは回していた。回転の残像により、ハルヒの手に円盤があるのでわないかと俺は錯覚する。仏頂面のハルヒがその円盤をどこかに飛ばさないことを祈るのみだ。
「はあ」
 ハルヒの溜息が耳に入る。振り返ると手は止まり、円盤は棒に姿を変えていた。うっすらと上気したハルヒは、その白い棒状の器具を己の服の中に忍ばせる。
 その状態で待つことしばし。ハルヒの服の中からピピピピとくぐもった電子音が漏れる。携帯の着信メロディよりは遥かに静かだが、授業中の教室ではやはり異物だ。こちらに顔を向けたクラスメイトの視線を、うんざりしながら俺は受け止めた。
 音に反応して振り返ったのは三割程度。つい、条件反射的に音に反応してしまったのだろう。残りの七割は「涼宮ハルヒだし」という感想を抱いているのか、最初からこちらに顔を向けることはない。その七割には教鞭を執っている教師も含まれている。
 ハルヒは胸元からそれを取り出して、小さなディスプレイを眺めている。そして俺の視線に気付き、まるで口の中につっこみかねない勢いでそれを突きつけてくる。
 三十六度九分。
 ハルヒが回していたのはデジタル式の体温計だ。なんとなく三十七度から風邪という感じがするので、通常より高いとはいえ、今のハルヒはまだそこまで達していない。小数点以下の数字が微妙に変わったくらいで何が違うのかと言われると答える言葉を持たないが、そこには確かなラインが存在しているように思う。
 再びくるくると回したかと思うと、ハルヒは電源を入れて銀色の部分をつまんだ。そして、駄菓子屋で売られている煙を出すかのように、銀色をつまんだ指をこすりあわせたり、体温計自体をねじるように回転させたりする。
 そんなことをしばらくやってから、俺に向けられた体温計は三十八度を超えていた。


「あー」
 授業が終わってハルヒは机に突っ伏す。ぐしゃりという擬音が相応しい崩れ方だった。
「調子が悪いならさっさと帰ったらどうだ」
 ハルヒは決して頭がいい奴とは言えないが、知能レベルは高い。一日くらい授業を休んだところで定期テストの準備が下落するようなことはないだろう。
「休むほどじゃないのよ。だったら最初から来てないし」
 机から顔を上げ、くるくると体温計を回す。
「てか、なんで体温計なんて持っているんだよ」
「持ってきたからに決まってるでしょ」
「そういう意味じゃない。熱を計りたくなったら保健室に行けばいいだろ」
「保健室から持ってきたのよ」
 そう来たか。
「別に無許可で取ってきたわけじゃないってば。ちゃんと、借りるって行ってきたわよ」
 今までの例を考えて奪ったかと思ったのだが、今回はちゃんとわきまえたらしい。風邪気味ということで普段より大人しくなっているのだろうか。機嫌さえ悪くならないのなら、たまに風邪を引いてくれた方がありがたいようにも思えなくはないが、やはりハルヒが体調不良というのは素直に喜べるはずもない。
「つーか、放課後までその微妙な状態でいるのもよくないだろ。今の内に保健室に行って、休むか帰るかしてこい」
「あんた、そんなにあたしを教室から追い出したいの?」
「そういうんじゃない。お前がそんな調子じゃ、朝比奈さんや古泉が確実に気を使う。手遅れになる前に対処して、放課後までに万全になれってことだ」
「……あんたがそこまで言うなら、行ってやるわよ」
 ふくれっ面を赤く染め、きょろきょろと見回してから朝倉を呼びつけ、一緒に教室を出ていった。別に朝倉が保険委員とかではないはずだが、面倒見がいいというキャラは既に周知されているし、このクラスでハルヒと最も仲がいいのがあいつだから何の疑問も生じない。
 ハルヒが出ていったあと、机には体温計が残されていることに気が付いた。保健室から借りたものなら行くついでに返すべきだろう。
 体温計を持って教室を出たところで俺は立ち止まった。ハルヒと朝倉が出て行って少し時間が経っている、今から追いかけて保健室までに追いつくかわからない。もしハルヒが早退するとなれば荷物を届けるために行かねばならないだろうし、今わざわざ追いかけなくてもいいだろう。
 そう決めて、俺は体温計を持ったまま窓際に行く。ハルヒがやっていたように銀色の部分をいじりながら、ぼんやりと外を眺める。
「何をしているの?」
 そんな非生産的な時間を過ごしていた俺に声をかけてきたのは長門だ。つまんだまま摩擦された体温計は、既に高熱と言って差し支えない数値をマークしている。
「体温を上げているんだ」
「そう」
 決して正しくはないが、完全なる間違いではない。いや間違っているか。
「……」
 長門はじっと、俺の手元を見ている。
「どうかしたか?」
「手つきが卑猥」
「……」
 正面きってそう言われると複雑な気分だ。確かに俺の手つきは、ある意味で体に染みついた動きを行っているようなものだ。言ってみれば手癖と言うべきか。
「あ」
「どうした?」
「あなたのそれを見ている内、わたしの体温が上がった」
 そうかい。