今日の長門有希SS

 寒い。
 本当に寒い時には、そのようにしか表現できなくなる。とにかく寒い。体が凍える。
 もちろん寒い季節にはそれなりの格好をするわけだが、気温に応じた防寒着を何種類も持っているわけではない。超寒い時の備えなどない。
 だから俺たちは、寒さに耐えながら外を歩かねばならない。徒歩通学の悲しいところだ。
「寒ーい!」
 玄関を出たところでハルヒが叫ぶ。今日は普段にも増して冷え込みが厳しい。朝から気温は低かったが、
 叫びたい気持ちもわからなくはないが、寒い時に寒いと言っても温かくなるわけではないし、むしろ寒さを再確認してしまうことになる。
「我慢してくれよ」
「寒いんだから仕方ないじゃない。あんたは感じないの?」
「そりゃ寒いに決まってるだろ」
 言って余計に寒くなった。見回すと、朝比奈さんはもちろん古泉も寒そうで、涼しい顔をしているのは長門だけ。この場合、涼しい顔という表現が適切なのかどうかわからないが、平然としているのは一人だけだ。
「こんなんじゃ、北風が負けるわけよね」
 ハルヒがわけのわからない言葉を口走る。陽気で頭がおかしくなるのはよく聞く話だが、寒さでぶっ壊れるとはあまり聞かない。人とは違うハルヒだから、体の機能も人とは違うのだろうか。
「北風と太陽くらい知ってるでしょ」
「そういう話か」
 北風と太陽とは有名な寓話だ。北風と太陽が旅人の服を脱がせる勝負するわけだが、先に挑んだ北風が風を吹き付けても旅人は服が飛ばないようにしっかりと握りしめ、太陽が照らすと暑さに負けて服を脱ぐ。
 教訓は、異性の服を脱がせるためには厳しく接するよりも甘い言葉の方がいい。
「暑すぎる場所なら太陽が勝つのも厳しいけどな。日焼け避けの手袋や帽子もあるだろ」
 太陽が全戦全勝ってわけじゃない。そもそも、服を脱がせる勝負の前に、帽子を飛ばして北風が勝つって話もあるそうだ。
「じゃあどうやって脱がすのがいいのよ?」
「さあな」
 俺は別に北風でも太陽でもない。無差別に旅人の服を脱がす方法を考えることに頭を使ったところで意味はない。
「ほんの少しだけ温かくなってくれたら、コートを脱いであげてもいいのに」
 なんて空に向かって呟く。ハルヒは冗談めかしているが、本当にそう願っちゃいないよな? 温かくなるのはいいことだが、本当に北風と太陽が勝負しているなんて思いかねない。見ると古泉のニヤケ面も引きつっていた。
「ん」
 先ほどまで平然としていた長門だが、気が付けば少し震えているように見えた。肩をすくめて、一回り小さくなったようだ。
 付き合いの長い俺だからわかるような、ほんの微細な変化だ。
「寒いのか?」
「……」
 長門は俺を見上げて、顔を伏せる。
「大丈夫」
「そうは見えないけどな」
「大丈夫」
「有希、寒いの? マフラー貸してあげようか?」
「……いい」
「遠慮しなくていいわよ。風邪引いたら大変でしょ?」
 と言ってハルヒは、無理やり長門の首にマフラーを巻き付ける。それでも長門はどことなく寒そうに見える。
「着るか?」
 こんな長門は珍しい。俺は思わず、コートを脱いで長門に羽織らせようとする――と。
「いい」
 それまで寒そうにしていた長門は、そう言うとすっと背筋を伸ばして自分の首からマフラーを外した。
「え?」
 唖然とするハルヒにマフラーを巻き付けながら、こう言った。
「北風でも太陽でもなくても、脱がせる方法ならある」
 その声は、どことなく楽しそうだった。