今日の長門有希SS

 ハルヒがうんうんと唸っている。
 俺がそのことに気が付いたのは、本人を見たからではない。正面に座る古泉がどことなく乾いた笑みを浮かべ、ちらちらとそちらを伺っていることに気が付いたからだ。
 ハルヒ仏頂面を浮かべてモニタを覗き込んでいた。こいつが不機嫌そうな顔を浮かべていたり、何やら考え事をしているのは珍しいことではない。何か不満があれば古泉が出動することになるのだが、今のところまだ連絡は来ていないようで、急いで対処しなければならないわけではないようだ。
 それなら何か企んでいるのか。ハルヒは自身の退屈しのぎのために当然のごとく俺たちを巻き込むわけだが、それが単なる退屈しのぎで終わればまだしも、場合によっては妙な事態を引き起こすこともあり得る。俺たちは起きてしまった騒動を解決するためにてんてこ舞いになるのだが、可能ならば事前に防ぎたいし、何かが起きるにしても予測ができれば先手を打てるかも知れない。
 とまあ、そういうわけで俺は立ち上がる。
「どうしたんだ」
 ハルヒの横に向かう前にまず声をかける。朝比奈さんが部室内を歩き回っているわけで、見られると困るようなことをしているとは思わないが、不用意にモニタを覗き込んだことが原因で怒らせる可能性がないわけでもない。
「道順を調べてるんだけど……まあ、ちょっとこっちに来なさい」
 言われてハルヒの横に行くと、モニタには地図が表示されていた。有名な検索サイトのもので、俺も使ったことは何度かある。住所を検索するだけでそのあたりの地図が出るから便利なんだよな。
「ここからここに行きたいんだけど」
 中央にあるのはここから少し離れた俺もあまり利用した機会がない駅で、そこから青い線が住宅地らしきところに伸びている。
「誰の家だ?」
「ケーキ屋よ。涼子から美味しいって聞いて、ちょっと行ってみようと調べてみたんだけど、わかりづらい場所にあるのよね」
 有名チェーン店などは大きな道に面したわかりやすい場所にあることが多いが、個人経営の店は小さな道や路地などにあることが多い。特に今回のは住宅地の中にあるようだ。
「普段行ったことのない場所だし迷わないようにしたいんだけど、国道だとけっこう遠回りになるみたいなのよね」
 確かに、大きな道を通るとかなり迂回しなければならないようだ。ハルヒが何やら操作すると、青い線の位置が変わり、それと同時に左側に表示されている時間も増減する。
 住宅地を抜ければいいかと言うと、そう簡単にはいかない。友人の家に行く時に道を間違えて迷ったことがあるが、知らない住宅地ってのは迷い易いものである。それに、地図では通れるように見えても通れない道だってある。
 迷って時間をロスするより、最初からわかりやすい道を使った方が危険はないし楽だが、ハルヒがそんな性格じゃないことは俺もわかっている。
「で、さっきから写真を見て調べてるわけ」
「なるほどな」
 この地図はその場所で撮影された写真を見ることができる。写真がない場所もあるが、写真が登録されている場所なら三百六十度表示できるので、目的地までの道のりや目的地の建物の見た目などを知るには便利な機能だ。
「どこを通るのがいいと思う?」
「うーん」
 今、地図を見たばかりの俺に聞くのもどうかと思うけどな。今までいろんなルートを調べていたハルヒの方が確実にこのあたりの地理には詳しくなっているだろうし。
「別にインスピレーションでいいわよ。時間がかかる道になっても、あんたが死刑になるだけだから」
 軽いな俺の命。
「今表示されてる通りでいいんじゃないのか? 曲がる場所の写真をプリントアウトしておけば、迷うこともないだろ」
「めんどくさいわね」
「僕がやりましょうか?」
 と、古泉が横から口を出してくる。ハルヒのために滅私奉公するのを信条としている古泉だ、これくらい大したことじゃないだろう。
「そう、じゃあお願いできる?」
「承知しました」
 というわけで、ハルヒに席をゆずられた古泉がパソコンを操作する。地図と写真の両方が表示された状態で画像を保存し、画像ファイルに貼り付けている。後ろから眺めていると、十五分ほどでその作業が終わった。プリンターからは二枚ほどの用紙が排出され、ご丁寧に駅から目的地の地図まで添えられている。
「これでどうでしょうか?」
「うん、いい仕事じゃない。さすが古泉くん。キョンならこうはいかないわ」
「ほっとけ」
「長かったわね」
 ハルヒは清々しい表情を浮かべている。俺が首を突っ込む前から地図を見ていたようだし、一体どれくらい時間がかかったのだろう。
「下手したら三十分くらいやってたような気がするわ」
 無駄に時間をかけたもんだな。
「だが国道を通るより時間を短縮できたんだろ? よかったじゃないか」
「そうね。片道五分、往復で十分くらいかしら」
「十分?」
 思わず聞き直してしまう。
「ん? それがどうかした?」
「いや、なんでもない」
 言いたいことがなくもないが、それを口に出すとまずいような気がする。
「なによ、言いかけてやめられるってのが一番嫌なのよ。ほら、ちゃんと言いなさい」
 ハルヒが俺に掴みかかってくる。だが口を割るわけにはいかない。助けを求めるように部室を見回すと――
「行き方を決めるのに時間をかけるより、最初から国道を通った方が早かったのでは」
 こちらに顔を向けていた長門は、それだけ言ってから視線を落とし、読書を再開した。


 その夜、古泉はバイトが忙しかったそうだ。