今日の長門有希SS

 6/15分、6/16分、6/19分の続きです。


 店を回り始めてどれくらい経っただろうか。
 パン屋など普通じゃ箸を置いていないような店、食堂やラーメン屋など箸を置いていて然るべき店、様々な店を巡った。古泉の財布が分厚くなり、長門の食べる速度が低下してきた頃、最初から持ち始めていた違和感の正体をほぼ確信する。
 いや、あり得ない店に箸が置いてあるような時点でまともな状態とは言えないのだが、それはまだ序の口だったらしい。
「おかしいよな」
「そうですね」
 古泉の顔に浮かぶのは「コレクションが増えて嬉しい」といった表情ではない。
「箸でアイスを食べている人を見るのは初めてかも知れません」
「そっちじゃない。ここ、何軒目か覚えてるか?」
「現在、十八枚目ですね」
 箸袋で店を数えるな。
 ともかく、移動も考えると一軒あたり十五分から二十分ほどかかっているはずだ。まあ早いところは五分くらいのところもあるが、平均するとそれくらいにはなっているはずだ。
 普通なら解散しているような時間をとっくに過ぎているはずだが、太陽はまだ高い位置にある。昼飯を食い終わって店を出たのが十二時過ぎだったと思うが、それから動いていないのではないかというくらいの位置だ。
「何が原因なんだ?」
「さあ、なぜでしょうか。今日中に終わらせてしまいたいとか、一度始めてしまうとなかなかやめられないとか、いくつか考えられなくもないのですがどれも決定打に欠けます」
 何にせよ、ハルヒ自身が無自覚だからタチが悪い。ある程度の店を回って満足する物ならいいのだが、もしそうでなかったとすると、原因を取り除けない限り俺たちはずっと箸袋を集め続けることになってしまう。
 仮に袋を集めきれば満足する場合であったとしても簡単に喜ぶことはできない。ハルヒがどのあたりまでを駅の近くとして認識しているかわからないし、そもそも駅周辺の店を回って満足するとも限らない。割り箸を出すような店は日本中に……いや、パン屋やケーキ屋にも割り箸が置かれているくらいだから、世界中のあらゆる飲食店に箸が置かれるようになっている可能性も否定はできない。
 もし、それら全てを集めようと考えたら?
 背筋が凍り付いた。もしそれがこの異変の理由だとすると、俺たちは世界中の飲食店を回りきるまで解放されないことになってしまう。
 果たしてそれにはどれくらいの月日が必要だろうか。いや、時間が経過していないからあくまで「今日の夕方」までには終わるのだろうが、少なくとも年単位の時間は必要だ。
 ハルヒの様子を見る限り、本人はあくまでこの状況に気がついてはいない。気づかせるわけにもいかないが、このまま手をこまねていていては今日が終わらない可能性が高い。
「どうしろってんだよ、全く」
 頼りになりそうな長門ハルヒや朝比奈さんの声援を受けてアイスを口に運んでいる。とりあえず食ってる最中は話しかけられそうにないから、次の移動の時にでも聞いてみるか。
 ちなみに、時間と言えば朝比奈さんなのだが、今のところ気づいていないようなのであえて伝えない方がいいような気がする。今、明らかに時間の進み方がおかしくなっているが、現時点で朝比奈さんがそれに気がついていないということは、そのことを知ったとしても意味がないと推測できるからだ。もし知ってしまえば態度に出てしまうことも考えられるし、ともかく、この件については言わない方がいい。
「さて、次よ次」
 長門がアイスを完食したので店を出る。先頭を歩くハルヒは朝比奈さんに任せ、長門の袖を掴んでそっと引き留める。
「なに」
「どう思う?」
 親指を天に向けてそう言うと、長門はゆっくりと太陽に視線を向けてからまたゆっくりとそれを戻す。
「まぶしい」
「いや、そうじゃない。本当ならそろそろ夕方くらいにはなってるはずだよな?」
「むしろ夕飯を終えて入浴していてもおかしくはない時間」
 なお悪い。
「原因はわかるか?」
「推測でそれらしい答えが出たとしても、真相は本人にしか――本人にもわからないかも知れない」
 己の能力を自覚していないハルヒは、無自覚にこの厄介な状況を引き起こしている。だから、どうしてこうなっているかなんて誰にもわかるはずがない。
「一体、どうなってるんだよ」
 答えは返ってこない。仮にわかったとしても、その原因を取り除けるかわからないわけだし、それを知ることに意味はないとも言える。
「そうか」
 知ったところでどうにもできないかも知れないのだ、知る必要などない。今ある原因は無関係に「早く活動が終了するような時間になって欲しい」とハルヒに思わせることさえできればいい。
「なあハルヒ
「なによ」
「このあたりの店は大体回り終わっただろ? ちょっと遠くの店で行きたいところがあるんだ」
「遠く?」
「ああ。電車に乗る必要があるんだが、味はいいって評判だ。古泉もそこの箸袋が気になっていたが一人で入れるような店じゃないらしい」
 後半はでまかせだが、古泉は茶々を入れずそれらしく頷いている。
「ふうん」
 ハルヒは腕を組み、唇を尖らせる。反対するなら即答で却下するような奴だ、そこそこ乗り気になってくれているようだ。
「いいわ、案内してよ」
 思った以上に上手く話が進んでいる。俺はほっと胸をなで下ろす。
「遠いってどれくらい?」
「そうだな……昼からいいだけ店を回ったし、今から行けば夕飯にちょうどいいくらいじゃないか? つーか、そもそも夜から始まる店だから、少しくらい時間かかってもいいだろ?」
 時間がかかると聞いて少し不満そうな顔はしたが、一度了承した手前反対できないのだろう。しばしの沈黙の後、ようやく口を開いたハルヒはこう言った。
「あんたが言い出したんだから、電車代と食事代はあんた持ちよ」
 へいへい。


 電車の窓から見える日は徐々に沈み、店に着いた頃には月が出ていた。宣言された通りに電車代と食事代を負担することになって俺の財布は軽くなったが、あのまま無意味に時間を費やし――いや、費やしちゃいなかったんだが、ともかくあの異常事態から抜け出すことはできた。
「じゃあ、今日は解散ね」
 いつもの駅まで戻った頃には真っ暗になっていた。こんな遅い時間まで不思議探索をやっていたのは数えるほどしかない。
 まあ、今回のが不思議探索だったかはさておき。
「そうそう古泉くん」
 別れ際、思い出したようにハルヒが口を開いた。
「これからも、箸袋を集める時はあたしたちとやるのよ」
「肝に銘じておきます」
 かしこまって頭を下げる古泉と、満足そうなハルヒ
 ああそうか。ハルヒは、古泉の思い出に可能な限りSOS団があって欲しいと思っていたのだ。もし明日になってしまえば、古泉は俺たちの知らぬ間にコレクションを増やすかも知れないのだが、それにはSOS団としての思い出は含まれない。
 もちろん、それが正解だったかどうかは俺にはわからない。長門にもハルヒにも、誰にもわからない。
 それはともかくとして、俺たちはそれから不思議探索のたびに新たな店を利用するようになる。古泉の笑顔から少しだけうさんくささが消えたような気がした。