今日のスクールランブルSS

 自動ドアが開く。吹き込んでくる秋の風に、塚本八雲は少しだけ肩をすくめる。
 そろそろ制服だけでは寒さを感じ始める時期だ。店に向かっている時はそれほどではなかったはずなのに、早くも暖房がつけられ風もない店内に長くいたせいだろう。
 買った商品を袋ごと鞄の中に入れながら駐車場を横切る。敷地を抜け、家に向かって歩き始めて数分、後ろからバイクの音が近づいてくる。
 八雲にとっては聞き慣れた音だ。振り返らなくてもそれに乗っているのが誰かわかる。
「よう、妹さん」
 八雲の横にバイクを停めたのは播磨拳児。サングラスにヒゲというガラの悪い男ではあるが、見た目ほど悪い人間ではないことを彼女は知っている。
「播磨さん――」
 沈みがちだった表情が変わる。
 彼と相対する時の八雲は普段よりも表情が明るくなる。そのことに彼は気が付いていなかったし、何より本人が無自覚だった。
「乗っていくかい?」
「はい」
 たったそれだけの短いやりとり。八雲がバイクの後ろにまたがり播磨の体に手を回すと、バイクは軽快な音を立てて走り始める。
 八雲の姉が体調を崩しがちになって以来、一連のやりとりは定番じみたものになっていた。
 偶然、八雲の帰宅に遭遇した播磨が、バイクで家まで連れて行く。
 同校の生徒が、一緒のバイクに乗る二人の姿を見かける機会を増えるのは自然なことである。それ以前から様々な成り行きによって仲を勘違いされてはいたが、二人が交際していると周囲の人間が思うようになったのは必然的と言ってもいいだろう。
 現実には、二人は決して交際をしていない。
 そもそも播磨の思い人は、八雲ではなくその姉――塚本天満――なのだ。
 播磨が彼女に惚れたのは中学時代のこと。どれほど惚れたかと言うと、手の付けられないような不良であった彼が、彼女と同じ高校に入るため涙ぐましい努力をしたほどと言えばわかっていただけるだろうか。
 播磨拳児、一途で単純な男。
 周囲から不良と見られてはいるが、彼の内面はその印象とは大違いだ。一部の教師やクラスメイトも次第にそれに気が付いており、入学当初に比べて友人と呼べる存在も増えている。
 徐々に減速しながらバイクが止まる。
「妹さん、着いたぜ」
 バイクは速い。人の足なら数十分かかるところを数分で移動することができる。
 だから、二人きりのツーリングもほんの数分で終わってしまう。播磨の腰に巻いた手をゆるめる八雲の顔には、少しだけ残念そうな色が浮かんでいた。
「ありがとうございます」
 八雲は礼を言ってバイクを降り、播磨を振り返る。
 気にするなと言う播磨、バイクを発進させる様子はない。
「あの、よろしければ上がっていきませんか?」
「おう」
 キーを抜いてエンジンを止める播磨。
 八雲の招きで塚本家に上がり、お茶などを飲みつつ天満の見舞いをする――これもまた、毎度のことになっていた。
「体調はどうだ? てん――塚本」
「あ、やっぱり播磨君」
 ベッドから身を起こす彼女。
「今日はまあまあだよ」
 播磨の目に映る天満はあまり万全とは言い難い状態だ。顔色があまりよくないし、やつれているようにも見える。
「そりゃよかった、学校休んだから心配してたんだぜ」
 しかし播磨は感情を表に出さず平然と受け答えをする。天満が心配をかけまいと強がっているのだ、それを指摘していいことなど何もない。
 サングラスをしていてよかった、と彼は思った。
「ところで、やっぱりってなんだ?」
「ふふっ、また八雲とドライブしてたんだね?」
「いや、俺と妹さんはそんなんじゃなくてだな――」
「隠さなくていいよ播磨君、お姉さんには何でもお見通しだよ」
 狼狽する播磨を見ておかしそうに笑う天満。播磨と八雲が既に交際していると勘違いしている筆頭が、播磨の思い人本人であるというのは、なんとも皮肉な話だ。
「今日は楽しそうですね、姉さん」
 お盆を持った八雲が部屋に現れる。その上には湯気を立てる湯飲みが三つ。
「播磨さん、お茶をどうぞ」
「気を使わせちまってすまねえ、妹さん」
 二人のやりとりを、目を細めた天満が見守っている。初めて彼氏ができた娘を見守る母親のような視線だが、実のところ勘違いである。
「はい、姉さん」
「八雲さんや、いつもすまないねえ」
 芝居がかった口調で言いながら、背中を丸めて受け取る天満。
「て――塚本、そりゃ時代劇の真似か?」
「あ、播磨君わかる? ほら、よくこういうシーンがあるよね」
 にこにこと笑う天満に対し、播磨と八雲ははあと溜息をつく。
 心臓に悪い、と播磨は思った。そういうのは、健康な人間がやるから成立する冗談であり、体調のよくない天満がやるのはあまりしゃれになっていない。
 もっとも、明らかに芝居とわかる口調や仕草なのですぐに演技だと判明する。仮に天満にもう少し演技力があったら……と考えると頭が痛い。
 何しろ、天満の体調不良はまだ原因が判明していないのだから。
「ところで播磨君、ご飯食べてく?」
「ん? そいつはありがたいが……いいのか?」
 親元から離れて暮らしている播磨はあまり豊かとは言い難い食生活を送っている。複雑な事情があって一人暮らしではなく従姉妹の刑部絃子の元に厄介になっているのだが、別に食事を作ってもらったりしているわけではないのだ。
 そんな播磨にとって、食事をしていかないかという天満の申し出は非常に喜ばしいことである。
「八雲、材料はあるよね?」
「三人分なら大丈夫だと思う」
「よーし、それなら食べて行ってよ播磨君。もし材料が足りなかったらさ、ばーって二人でバイクに乗って買い物に行けばいいよね」
 にこにこと笑う天満に「だから、俺達はそういうのじゃ」としどろもどろになって弁解する播磨。
 二人のやりとりを、八雲は少しだけうつむいて聞いていた。