今日の長門有希SS

 最初に感じたのはちくりとかすかな痛みだった。
 その次は押しつけられるような感覚。それが伝わってくるのは腰や背中などで、何か固い物に触れているのがわかる。
 腕にも痛みがある。肘の先端から絡みつくように、腕の内部に痛みが通っている。
 ちくり。
 また体のどこかが痛む。はっきりとしない意識の中で、ちくり、何度目かの時、それは背中に生じている痛みだと気が付いた。
 視界が徐々にクリアになる。目に飛び込んできたのは木目のある板。机の天板だと気が付くまでには数秒の時間を要した。
 顔を上げると、見えるのは他の奴の後頭部と、黒板に向かってチョークを走らせている教師だった。声が小さく少々滑舌の悪い教師で、教室の後ろの方に座っている俺にはその言葉は半分も届いていない。しかも板書の字もあまりきれいなものではなく、よってこの授業は睡眠時間に割りあてられる場合が多い。
 ちくり。
 意識がはっきりしてきた今、その痛みの正体は明白だった。
「あ――」
 ゆっくり顔を後ろに向けた先には驚いたような顔がある。その手に握られているシャープペンシルは、ノートの上ではなく宙に浮いて前に突き出されている。
 これだ。
「何か用か?」
「用、ってほどじゃないけど」
 用事がないのなら、こいつは特に理由もなく俺の背中をシャープで突いていたのだろうか。地味に痛いんだぜ。
「暇だったのよ」
 明確な用事は無かったらしいが、俺を突くことには理由があったようだ。いや、それが眠りを妨げるのにふさわしい理由かと言うと、答えはノーだが。
「ねえ、なんか面白いことない?」
 あったら今まで寝ちゃいないさ。深く眠っていたようで、起こされて少し経過してもまだ記憶がはっきりしない。もう一度、眠りたいもんだ。
「もう……」
 声だけで不機嫌そうな胸の内が伝わってくる。頬をふくらませて、口をとがらせているのが目に浮かぶようだ。
 しかし睡魔には勝てず、俺は目をつぶって再び眠りの世界に身を投じるべく頬杖を突くのだった。


 授業時間が終わって昼休み。あくびを噛み殺し、しびれる腕で弁当を抱えて部室のドアを開ける。
 長門の姿はない。授業が終わるのが遅かったのだろうか。
 椅子に腰掛けてぼーっと待つ。こうして座ってしまうと、まるで尻から根を生やしたように椅子に張り付くような感覚。眠りそうになるたびにハルヒの妨害で目覚めさせられたこともあって眠気は積もり積もっている。
 少しだけ、と俺は目をつぶる。椅子に沈んでいくような感覚と共に、俺の意識はあっさりとまた消えていく。
 気が付くと何か温かいものに包み込まれているようだった。うっすらと目を開けると、こちらを見下ろす顔と目が合う。
「……」
 長門がじっと俺を見つめている。俺の左側から突き出ている顔と、その下には胸部。控えめな胸板、そのまま視線を下げていくと、すぐ近くに白い制服。
「目が覚めた?」
 途端、今まで感じていた温かさの正体を知る。慌てて上半身を起こすと、触れていたところの髪が汗でじっとりとしていた。長門にとって、頭が触れていた部分は不快ではないのだろうか。
「そもそもわたしが勝手にしたこと。あなたが憂慮する必要はない」
 俺から頼んだわけではないのだが、長門は俺のためを思ってそうしてくれていたわけだ。長門の膝枕は包み込まれるような安堵感があり、短い間だったのだろうがよく眠れたような気がする。
「よく眠っていた」
「そうか」
 長門が入ってきたことも、頭の下に自分の膝を滑り込ませたことも知らずに眠っていたことになるのか。そりゃかなり熟睡していたんだろうな。
「それじゃ、そろそろ飯食うか」
「……」
 長門はしばらく俺の顔を見てから、こくりと首を縦に振る。
 弁当の中身はいつもとそれほど変わりない。まあ、良くも悪くも平凡な弁当。長門が淹れてくれたお茶を飲みながらそれを食う。
 これもすっかり日常となっている。このまま予鈴が鳴るまで食って、それで教室に戻るのもいつも通り。
 しかし、今日はうたた寝していたわりには昼休みが長く感じた。予鈴が鳴ったのは、弁当も食い終わってお茶を飲みながら雑談していた頃だ。
「さて、昼休みも終わりか」
「違う」
 妙なところで長門が否定してきた。確かにまだ予鈴だから終わったわけじゃないが、そこまで厳密じゃなくてもよかろう。
「そうではない」
 では、どういうことなんだ?
「今のは五時間目終了の合図」


 どうやら眠っている間に昼休みが終わり、五時間目に入っていたらしい。それに気づかず弁当をのんきに食ってしまい、五時間目を思い切りサボってしまった。
「起こしてくれてもよかったじゃないか」
「……」
 長門は困ったように顔を伏せながらも俺の顔にちらちらと視線を送る。
「わたしもしたかったから」
「何をだ?」
「膝枕」
 何を言うか、してもらって嬉しかったのはこっちのほうだ。気持ちよく眠れたし、なんだかほっとしたからな。
「そう」
 長門は嬉しそうに俺の顔を見つめる。表情こそ変化はないのだが、俺には長門が微笑んでいるように感じられた。


 さて、そのようにいちゃいちゃしている間に六時間目も始まってしまい、結局午後の授業は完全に休まざるを得ない状況になった。
 サボっていた間のことをハルヒにしつこく問いただされることになったのだが、それはまた別の話だ。