今日の長門有希SS

 一番最初に誰が言いだしたのかは覚えていないが、恐らくハルヒで間違いない。
 誰もが小学生か中学生くらいの時に一度は考えた事があるような事。ガキの頃には本気で悩んだりするような事だが、高校生になった今となっては真剣に悩んでいたのが馬鹿みたいに思える事。
 そんな事をクソ真面目に考えようって事になってしまうのが俺達SOS団だ。
 しかも、ご丁寧にホワイトボードまで用意し、マーカーを握ったハルヒがその前に立っている。
 俺達が話している議題は「世界が終わる前に食べておきたいものは何か?」だ。
 ホワイトボードには寿司やらステーキやら高級料理が並んでいる。ところどころドリアンのようにあまり食いたくないものが紛れ込んでいる。それが誰の意見かはいうまでもないよな。
「これくらいかしら」
 ホワイトボードを半分くらい埋めてようやくペンを置く。
 古泉も朝比奈さんも自分から意見を言っておらず、ハルヒの意見に同意していただけなので、基本的にはハルヒがほとんど述べたと言えよう。
「それじゃ、みくるちゃんこれメモしておいてね」
 どうやら、ハルヒはそれで満足したらしい。いつもの席に座ると、何やらパソコンをいじり始めた。
 一体、ハルヒは何がしたかったんだ?


 その疑問が氷解したのは、その数日後の放課後である。
 部室の扉を開けた俺が見たものは、トゲに囲まれた固そうな丸い塊。テレビで見たことがあるが、これはアレに間違いないよな。
「ドリアンよ」
 その横で胸を張ってるハルヒ
 ああ、やっぱりか。
 部室の窓は全開になっているようだが、ドアのところまで生ゴミのような妙な臭いが漂ってくる。こりゃご近所にも迷惑がかかってるな。
 しかし、どっからこんなモンを仕入れてきたんだお前は。
「ネット通販で買ったの。便利よね。こんな事までできるなんて、インターネット様々だわ」
 そうだな。だがこんな便利さはいらない。それに、最初にインターネットを思いついた人間もこんな事に使われるために考えたわけじゃないだろう。
 視界の隅で、朝比奈さんが涙目でコスプレ衣装を衣装ケースに収納しているのに気が付いた。臭いがつかないようにだろうが、もう遅い気がする。
「あたし思ったのよ。もし本当に世界が終わる時に、初めて食べたものがまずかったら未練が残るじゃない。だから、本当に食べる価値があるのか調査するわよ」
 もしかして、あのリストにある中で未経験のものを全部試しに食ってみようってつもりなのか、こいつは。
 だが、もしそれでうまかったとしても、すぐに取り寄せて食えるようなもんじゃないだろ。もしもの時に食えなくて後悔するかも知れないぞ。
「もし美味しかったら、家に常備して置けばいいじゃない」
 嫌な家だな、それ。
「……」
 いつの間にやら隣に長門が立っていた。部室の中央に置かれたドリアンに視線が固定されている。
 なあ、お前はアレどう思うよ。酷い臭いだろ。
「ユニーク」
 ああ、他にあんなのが沢山あってたまるもんか。臭いは大丈夫なのか?
「嗅覚を鈍らせている」
 そいつは便利だな。ついでにドリアンそのものの臭いを軽減してくれるともっとありがたいぞ。
「それでは彼女が満足しない」
 確かにハルヒは「最も臭い果物」としてのドリアンを求めているのだろう。それを奪ってしまえば意味がなくなりそうだ。
 じゃあ、俺の嗅覚も弱らせることは出来るか?
「可能」
 じっとこちらを見つめる。
「粘膜同士の接触が必要。顔の位置を下げて」
 いや、さすがにこの場でそれはまずいだろう。
「それなら、ズボンを――」
「ちょっとキョン、有希になにちょっかい出してるのよ!」
 ハルヒに強引に部室へ引っ張り込まれた。
 中に入るとさらにひどい臭いが鼻につく。さすがだなドリアン。
「古泉君が来たら切るわよ」
 ハルヒはナタのような包丁を振り上げる。ああ、確かにそれくらいのサイズじゃないと切れないかも知れないな。だが、妙に危なっかしいから振り回すな。
 古泉が来なければ助かる、古泉が来なければ――
「おや、これはこれは」
 頼むから空気を読んでくれ、古泉。
 こんな中でも古泉の顔にはいつも通りの爽やかスマイルが浮かんでいる。ある意味、尊敬に値するぞお前。
「よし、これで全員集合ね。それじゃ、早速切るわよ」
 死刑宣告だ。ハルヒがナタを振り上げて下ろすと、ザクッという音。徐々に臭いに慣れてきたというのに、刺激が鼻に来た。切り開いて臭いが更に強くなったのだろう。
 もう無駄かも知れないが、廊下に悪臭が広がると苦情が来るかも知れない。窓の方は開けっぱなしにするとして、ドアの方は閉めておいた。
「切れたわ」
 テーブルの上で、ドリアンがまっぷたつになっていた。片方にはこんもりと実がつまっているが、反対側は空洞になっている。
「取り分けるわよ」
 ハルヒは人数分の皿に、テキパキと実を取り分けていく。きっちり5等分しやがった。
 長テーブルの前に座らされた俺達の前に、その皿が並べられていく。今日はハルヒもパソコンの前でなく、椅子をこちらに移動させて俺の横に座っている。
 見た目はクリーム色の果物だ。しかし、臭いを考えると恐ろしい。
「さ、食べるわよ」
 ハルヒがフォークで実を刺し、ゆっくりと持ち上げる。さすがのハルヒにも緊張の色が見える。
 俺達はその様子をじっと見守っていた。ハルヒの口が開き、その実が口の中に消えていく。
「……」
 無言で咀嚼。一体、どうなんだ。
「美味しい――って、みんなも食べなさいよ。団長に毒味させるってどういう事なのよ」
 最初に動いたのは古泉だった。
「いやあ、確かにこれは美味しいですねえ」
 頑張りすぎだぞ、お前。
「いえ、普通に美味しいですよ。あなたも召し上がってみてはどうですか?」
 キラーパスが来た。
「そうよ、キョンも食べなさいよ。あたしのドリアンが食べられないって言うの?」
 お前に限らず、誰のドリアンでも食いたくないぞ。
 だが仕方ない。フォークで実を刺し、口に運ぶ。
「う……」
 当然であるが、人体において鼻と口は近い距離にある。つまり何を言いたいかと言うと、食べようとするとその実が鼻に近づくわけであって――
「いいから食べなさい!」
 ハルヒの手が俺の腕を掴み、勝手にその実を口に放り込もうとする。うわ、やめ――
「え?」
 意外と味は普通だ。果物と言うよりは、カスタードクリームのようにどろっとした妙な食感。味は……形容しがたいが、バナナやメロンを混ぜたような不思議な甘み。
 臭いに慣れてしまうと、意外といける。頻繁に食いたいかどうかはおいといて、思ったより悪くない。
 あっさりと分けられた分を食べ尽くしてしまった。
 最初はどうなる事かと思ったが、たまにはハルヒの気まぐれが良い方に運ぶもんだな。


 活動が終わって、俺はハルヒにゴミ捨てなどを手伝わされた。
「わざわざ悪かったわね」
 一人だけ残された事だろう。ハルヒにしては妙にしおらしい。
「それじゃ、帰るか」
「あ……待って」
 ハルヒはじっと俺を見つめている。
「あんた、体に変なところない?」
 あれだけ臭いものだったから、さすがに心配になるんだろう。
「大丈夫だ。鼻がバカになってるかも知れないけどな」
「そう」
 ふうっと息を吐き出す。拍子抜けした感じだ。
 ハルヒは酷い奴ではあるが、団員を大事にしているのは事実だ。
「まあ、それならいいわ。帰りましょう」
 普段は5人で帰る道をハルヒと帰る。ハルヒは食いたかったドリアンを食えたせいかいつも以上にハイテンションで、分かれ道で名残惜しそうに手を振って去っていった。


 家に帰ると、妹に臭いと言われた。どうやら服に染み付いてしまったらしい。
 ため息を付き、着替えるために部屋に入ると、
「……」
 長門が俺の椅子に座って本を読んでいた。
 何故だ?
「ドリアンは」
 長門は本をパタンと閉じ、椅子をこちらに回す。
「現地では精力剤として用いられている」
 立ち上がり、俺の顔を見つめる。
「処理しに来た」
「って、ちょっと待て。確かにちょっと体が熱くなっているのは事実だけどな、性欲処理のためだけにお前をどうこうしようってのはさすがに――」
 いつの間にか近くに来ていた長門が、俺の口を指で塞ぐ。
「わたしの事なら遠慮しなくていい」
 長門は「それに」と呟いて、
「食べたのはあなただけではない。あなたに鎮めて欲しい」